公開日 : 2024/2/16
だから特別。だから尊い。
ピッグスキン・ハリーのタンナーを訪ねて。
「三匹の子豚」という童話をご存知でしょうか?
物語は三匹の子豚が,それぞれ異なる素材の家を建てるところから始まります。藁や木に比べ、最も作るのが遅く手間取ったのが、レンガ造りの家。しかしこれがやがて、大きな恩恵を受けることになるのです。
もの作りは手早く仕上げるより、時間や手間をかけたほうが、結果役に立つ。この教訓は、ハリーの革作りにも同じことが言えます。
私たちが訪れたのは、東京都墨田区。私たちの大切なパートナーであるタンナー「ニシノレザー」があります。
まず、この記事を読んでみようと思ってくださったあなたに、どうしても知って欲しいのです。それはハリーができていく過程において、工業製品のように当たり前に、効率的にいくらでもできていくことはひとつもなく。すべては美しく細やかで尊い「気遣い」の賜物であるということ。
あまたあるうち、今回は3つの「気遣い」を打ち明けましょう。
① タイミング
まずハリーの原料は、私たちがふだんありがたくいただいている食肉用の豚です。養豚場から食肉加工所を経由し、残りの原皮がタンナーのもとへとやってきます。この段階ではまだ毛がついたままの状態。汚れを落として毛を溶かし「漉き(すき)」と呼ばれる2枚に剥ぐ、前処理の作業をします。
「ここは本当に時間との勝負。特に夏は届いてすぐ、午前中の早い時間で終わらせてしまわないと、だめなんです」
「ニシノレザー」の代表である西野佳伸さんはゆっくりと、しかし訴えかけるように私たちに伝えてくれます。
「おとといまで生きていた豚ですから、腐敗を防ぐために塩漬けにしているとはいえ、やっぱり時間が経つと、どうしても皮が傷むんですね。ポツポツと小さい穴があいたりする。そういうものだと思って諦めている人もいるけれど、我々は最後まで諦めたくないので」
これにまつわる、印象的なエピソードを伺いました。ある炎天下の夏の日、西野さんは原皮を運ぶトラックが、コンビニでのんびり休憩していたところを見かけました。「一刻も早く、日陰のところに持っていかなきゃだめなんじゃないの」と、いてもたってもいられなくなったそうです。
他の人がついぞ気にならないようなことが、どうしても気になる。
ほんのささいな違いかもしれないけれど、最後まで諦めたくない。
そんな西野さんの美点は、後の工程にも、十全に生かされていました。
② 温度
現在、ピッグスキンのなめしを得意とするタンナーは激減し、国内でも10社を切ったと言われています。
「革」を「柔らかく」と書いて「鞣す(なめす)」。ドラムという筒型の機械を使い、文字通り柔らかくする技術です。
この工程の鍵となるのは「温度」でした。
「薬品がしっかり中に入っていく、ちょうどいい温度というのがあるんです。だいたい最後のできあがりで、37〜38℃で終わってくれるといい。季節や気候によって温度が変わっていっちゃう」
またドラムの回転数によっても温度は変わる、なかなかデリケートなもの。
「なのでその日によって、25℃にしようか、30℃にしようか。何時間回そうか、細かいところまで気を遣う。この調整が、我々タンナーのテクニックです」
なめされた革は、染色の工程に移ります。ここでもやはり、温度が大切。
「染料の温度があんまり高すぎると、表面にばっかりついちゃう。低すぎると、こんどは中に入りすぎて表面につかない。だからだいたい何度と、はじめる時に決めておくんです」
季節の移り変わりのあるこの国で生まれた私たちだからこそ、温度に敏感になる。細かなその違いを「感じる」ことができるからこそ、よい革が生まれるのかもしれません。
③ 張り方
工場の華奢な階段をおっかなびっくり上って2階にたどり着くと、ガーン、ガーンという力強い音とともに、職人さんたちが板に革を釘で打ち付けている風景が目に入ります。
これは、革を乾燥させる工程です。
「タンニンなめしのヌメ革の場合は、全部板張り。これはうちだけなんです」と胸を張る西野さん。ニシノレザーの高い技術と気遣いは、まさにこの「板張り」に裏打ちされているのです。
ではこの「板張り」とは、何のことを指すのでしょう。
その話をする前に、まずはなめしの方法をお伝えする必要があります。
現在大きく分けてふた通りあり、主流は塩基性硫酸クロムというなめし剤を使う「クロムなめし」。変化や変色が少なく一定で、水や高熱にも耐える性質を持ちあわせています。ハリーは柔らかな風合いや発色を追求するため、このなめし方を採用しています。
ただニシノレザーは、さらに難易度の高い「タンニンなめし」も取り扱っています。
この場合、水分が抜けると丸まって固くなるゆえ、ただ「吊って干す」のではなく「張ってまっすぐに伸ばし、形を整えてから干す」必要がある。もっと効率のいい張り方もあるようですが、西野さんはあえて手間のかかる昔ながらの方法を、今なお採用しているのです。
理由をうかがうと
「やっぱり革が痩せるんですよ。薄くなっちゃう」
引っ張りすぎると、その分革は大きくなる。けれど真ん中と周りの厚みにムラができ、歩留まりが悪くなる。つまり製品にする時の「使える部分」が少なくなり、無駄が多くなるということ。
「引っ張って革の面積が広がれば、一枚の値段が上げられて儲かるんですよ、革屋さんとしては。だけど商品を作ってる側の人の顔を考えると、ね」
と言い、西野さんはふとやさしい顔になりました。
「ハリーも考え方は同じ。引っ張らずに、波打っている状態を整える程度。しわをやさしく伸ばす感覚に近いかな」
海外からも必要とされる実力
西野さんは20年前まで、フィリピンにいました。ここに自社工場を持ち、ドイツやイタリア、オランダなどヨーロッパのブランドと仕事をしていたのです。
「生産量がすごかったから、僕は常駐しなきゃいけなかった。あの人たちも本当にいいものをあげなかったら、ビタッと注文来ないですから。それはもう、すごい大変でしたよ」
西野さんならではの「気遣い」は、クオリティを求める彼らにとって、かけがえのない存在でした。
「やっぱり革というのは本当に、いつもトラブルですから。それをどうやってうまく解決するかが求められるんです。その後、日本に戻ったんですけど、いろんな外国のお客さんが僕に『お前戻ってくれ』とか言うんですよ」
だけど、西野さんははっきり彼らにこう言います。
「いや、俺はもう戻らないよ」
西野さんがここにいてくれたからこそ、現在のハリーが生まれました。そしてあなたのもとへ。
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